彼らはテーブルを囲んで、薄暗い照明の下で酔いどれた笑い声を上げていた。酒瓶が何本も空になり、グラスはすでに手垢で曇っている。だが、その場の誰一人として、吐き気を訴える者はいなかった。
「おかしいだろう?」私は心の中で叫んだ。昔から、酒の席では「吐くまで飲む」というのが暗黙のルールだった。先輩たちも、私にそう教えてくれた。だから、私は今日もその覚悟で臨んだのだ。しかし、彼らは違った。彼らは静かに、しかし確実に酔いを深めていきながら、その限界を超えることなく楽しんでいるようだった。
「まだまだいけるぞ!」と叫んでみたが、彼らはただ微笑んで、「無理はするなよ」と返すだけだった。その言葉に、私は一瞬、安堵を覚えたが、同時に、奇妙な不安が胸をよぎった。
何かが違う。これまでの酒の席とは何かが違う。彼らは一体、何を考えているのだろう?酔いが進むにつれて、彼らの笑顔がますます曖昧になっていくのを感じた。まるで、見えない壁がそこに立ちはだかっているかのように。
その時、ふと気がついた。彼らの目は、ずっと私の方を見ている。しかし、その視線は温かくも冷たくもなく、ただただ無感情で、その場にいる他の誰にも向けられていないことに気づいた。私だけがその視線の先にいるのだ。
「なぜ私なんだ?」疑問が胸を突き上げたが、声に出すことはできなかった。その沈黙の中で、酒の酔いがじわじわと全身に回り、意識がぼやけていく。もう、何も考えることができなくなっていく自分を感じながら、ただその場に座っていた。
突然、誰かが立ち上がった。その動きに反応して、他の連中もゆっくりと立ち上がる。全員が無言のまま、私を見下ろしている。薄笑いを浮かべた彼らの顔が、まるで何かを待っているかのように見えた。
「おい、どうしたんだ?」私は震える声で尋ねたが、彼らは何も答えない。代わりに、一人が手を伸ばして、テーブルの上に置かれた最後の酒瓶を取り上げた。
そして、その中身を私のグラスに注ぎ始めた。酒がグラスに溢れ、テーブルの上にこぼれる音が静寂の中に響く。彼らは依然として、何も言わず、ただ私を見つめている。
私の中で何かが弾けた。「もう無理だ!」そう思った瞬間、体が勝手に動き、立ち上がろうとしたが、酔いで足がふらつき、再び椅子に倒れ込んでしまった。
その瞬間、彼らの笑い声が突然爆発した。乾いた笑い声が、四方八方から私を包み込んでいく。それは嘲笑でもなく、哀れみでもない、ただの笑いだった。私はただ、その笑い声の中で、冷たい汗をかきながら座り続けるしかなかった。
そして、最後の一滴がグラスに注がれた瞬間、彼らの笑い声がぴたりと止んだ。沈黙が再び部屋を包む。彼らは一瞬、全員が同時に息を飲んだかのように、こちらをじっと見つめていた。
「飲め」と、誰かが低い声で命じた。その声は、酒の酔いを一気に覚まさせるほどの冷たさを帯びていた。私は無意識のうちにグラスを手に取り、その中身を一気に流し込んだ。
すると、強烈な苦味とアルコールの熱さが喉を焼き、胃の中で爆発するような感覚が襲ってきた。だが、もう遅かった。私の視界は急速に暗くなり、意識が遠のいていく。最後に見たのは、彼らのぼんやりとした笑顔だけだった。
そして、闇がすべてを包み込んだ。
酒を飲んで、今暴走していることが自分に理解できるのか?そう問いかけた瞬間、私の視界はぼやけていった。酔いが体を支配し、現実と夢の境界線が曖昧になっていく。このまま進めば、どこにたどり着くのかさえ分からないが、足は勝手に動き続ける。
夜の街は静まり返り、街灯がぼんやりと照らす舗道を、私は何も考えずに歩き続けた。周囲の風景が歪んで見えるのは、酒のせいなのか、それとも心の奥底にある抑えきれない感情が原因なのか。確かに、私は今、何かを押さえつけるようにして酒を飲んでいた。忘れようとしていた何かが、頭の中で渦巻き、そして暴走を始めた。
もう一杯、いや、もう何杯飲んだかも覚えていない。酔いに任せて、この夜に身を委ねることが私の唯一の選択肢だと感じていた。だが、その先に待つものが何か、彼はまだ気づいていなかった。
私は吐いた。友人との酒飲みの場に参加したせいだ。私は誰よりもがんばった。その結果として、今苦い口に喘いでいる。
私は、壁にもたれかかりながら、息を整えようとした。頭の中はぐるぐると回り、視界が歪んでいるように感じる。何をしても、昨日のことが頭から離れない。友人たちと過ごした楽しい時間が、今では遠い夢のようだ。
あの時、どうしてあそこまで飲んでしまったのだろう。誰よりもがんばろうとして、誰よりも自分を証明しようとしていたのだろうか。それとも、ただ自分自身を忘れたかっただけなのか。酔いが回る中、そんなことを考えずにはいられなかった。
冷たいタイルの感触が、少しだけ私を落ち着かせる。しかし、それでもまだ胃の奥に残る苦味は消えない。体の震えも止まらない。ふと、私は自分が今まで何を求めていたのかを問い直してみた。なぜ、友人たちと競い合うように酒を飲み続けたのか。なぜ、限界を超えるまで自分を追い込んだのか。
「がんばること」とは一体何なのだろう。この問いが頭を支配する中で、私はただ、静かに目を閉じた。眠りにつくことで、この全てを一時的に忘れられるかもしれないと思いながら。
部屋の静寂が私を包み込む中、私はふと、窓の外に目を向けた。夜明け前の薄明かりが、少しずつ闇を追いやっていくのが見えた。新しい一日が始まろうとしている。しかし、私はまだ、昨日の名残に縛られている。
このままではいけない。そう思いながらも、体は動かない。頭の中で「次こそは」と自分に言い聞かせるが、それが本当にできるかどうかはわからない。
私はもう一度、深く息を吸い込んだ。苦い味が口の中に広がるが、それでも少しずつ、心が落ち着いていく。これからどうするべきか、それを考える時間はまだあるはずだ。焦る必要はない。
その瞬間、携帯電話が震えた。友人からのメッセージだ。恐る恐る画面を見ると、そこには「昨日は楽しかったな。またやろう」とだけ書かれていた。私は苦笑し、返信を打ち始めた。「うん、また今度な」。それが本当になるかどうかは、今はまだわからない。でも、今はそれでいいのだと思う。
窓の外の空が、少しずつ明るくなっていく。私はゆっくりと立ち上がり、新しい一日に向けて、もう一度深呼吸をした。朝日がまぶしい。まるで昼のようだ。まだ、朝と夜の区別もついていない。
自分としては、新しい一日に向けて深呼吸をしているつもりだが、うまく息が吸えていない。
ふらつく足を何とか支えながら、私は洗面所へと向かった。鏡に映る自分の顔を見つめる。青白い肌、腫れた目、乱れた髪――昨日の名残がまだ色濃く残っている。これが自分の姿だと認めたくない気持ちが、じわりと胸の奥で膨らむ。
顔を洗おうと水を手に取り、冷たい感触が少しだけ意識をはっきりさせる。しかし、それでも心の中に広がるもやは消えない。まるで、この薄暗い朝の空気と同じように。
いつもの朝と違う。何かが、根本的に違っている。まぶしい朝日にもかかわらず、どこか現実感がない。まるで、まだ夢の中にいるかのような錯覚さえ感じる。このままどこかへ消えてしまいそうな不安が、私の心を締めつける。
もう一度、深く息を吸い込もうとする。しかし、胸の中にある何かがそれを阻むようだ。呼吸は浅く、苦しい。それでも、何とか新しい一日を迎えなければならない。そんな思いが、私を無理やり立たせる。
今日という日は、昨日の続きではなく、新しい一日のはずだ。しかし、過去の影がつきまとい、未来へ踏み出す足を重くしている。そんな中で、私は何をすべきなのだろうか。何を求め、どこへ向かうべきなのかがわからないまま、時間だけが過ぎていく。
ふと、窓の外を見ると、人々が動き出しているのが見えた。彼らは何の迷いもなく、目的を持って行動しているように見える。私だけが、ここで立ち止まっているのだろうか。その思いが、さらに心を重くする。
このままではいけない――頭ではわかっている。しかし、体は言うことを聞かない。胸に渦巻く不安と後悔、そして未来への漠然とした恐れが、私を動けなくしている。
そんな自分が、もどかしい。何かを変えなければならないと、強く思う。しかし、どこから始めればいいのか、その答えはまだ見つからない。朝日のまぶしさが、一層私を追い詰めるように感じられた。
私は、もう一度ゆっくりと息を吸い込み、目を閉じた。そして、何も考えずにただ、そこに立ち尽くしていた。
私はやがて、制服に着替える。まだ感覚は優れないが、行かなければならない。私は自分の車に乗り込み、エンジンをかける。私の気持ちと裏腹に、小気味いい始動音が鳴る。
エンジンの音が、車内に響く。その響きは、今の私にはどこか遠く感じられる。外の世界と私の間に、見えない壁が立ちはだかっているようだ。体は動いているのに、心はまだ昨日の重みを引きずっている。けれども、そんなことを言っていられる余裕はない。
アクセルを踏み込むと、車はスムーズに動き出した。車窓から流れる景色はいつもと変わらない。街は動き始め、人々は忙しそうに行き交っている。それなのに、自分だけが取り残されているような感覚が拭えない。
ハンドルを握る手は、どこか冷たく、硬直している。まるで、今の自分を象徴しているかのようだ。前に進むしかないと理解していても、その先に何があるのかはまだ見えてこない。それでも、車は確実に目的地へと向かっている。私の意思とは関係なく、ただ道を進んでいく。
信号が赤に変わり、車を止める。周囲の車も同じように止まり、ほんの一瞬の静寂が訪れる。その静寂の中で、私は自分の胸に手を置いた。まだ、心臓が早鐘を打っているのを感じる。これは不安のせいなのか、それとも何かを期待しているからなのか、答えはわからない。
信号が青に変わり、車を再び動かす。こうしていると、昨日の自分がどれほど愚かだったかが、少しずつ実感として浮かび上がってくる。無意味に自分を追い込んで、結局は自分自身を壊してしまった。そんな自分が情けない。だが、同時に、そんな自分を少しだけ許してあげたいという気持ちも湧いてくる。
今日という日は、昨日の延長ではなく、新しい一日の始まりであるべきだ。それを、まだ心のどこかで信じている自分がいる。だからこそ、こうして車を走らせているのだろう。
職場が近づいてきた。車を駐車場に入れ、エンジンを切ると、再び静寂が訪れる。その静寂の中で、私は深呼吸を試みる。今度は少しだけ、息が深く吸えた気がした。まだ全てが完璧ではないが、それでも、何かが変わり始めているかもしれない。そう信じたくなるような、小さな変化だった。
ドアを開けて車から降りる。新鮮な空気が、私を包み込む。足元がしっかりと地面に触れている感覚が、少しずつ自分を現実に引き戻してくれる。この先に何が待っているのかはわからない。だが、とにかく前に進むしかない。私は一歩を踏み出した。まだ揺れる心を抱えながらも、その一歩が少しだけ軽く感じられた。